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GHQに封印された言葉。『私』は『和多志』だった!?コロナウイルスで見えてきた現日本人の感性へと繋がる線

コロナウイルスの影響で在宅ワークの方々も多いのではないでしょうか?

 

コロナウイルスはおそらくこれからの教科書にも載るのではないか、という勢いで様々な影響を全世界にもたらしていますよね。

 

そんなコロナウイルスについて、多くのコメンテーターや経済界の要人、経営者などがそれぞれの意見を述べています。

 

それらに共通して見えてくる今の日本の現状とは?

そのあたりに繋がる考察しをていければと思います。

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GHQの行った焚書について

「和多志」というこの言葉、聞きなれない方も多いのではないでしょうか?

「わたし」と読みます。

 

教科書や、最近の本にはまず載ってない言葉です。

今となっては調べようがありませんが、この「和多志」という漢字、GHQによって封印された漢字といわれていて、GHQ占領下から「私」に統一されたとの話が多数残っています。

 

GHQが行ったことの中に「焚書(ふんしょ)」があります。

国際法上では絶対にやってはならないこととされていますが、実に7000冊以上の書物が抹消させられた出来事となります。

 

詳しく勉強したい方は、この本を読んでみてください。

 

GHQの統治は、ご存じの方も多いと思いますがGHQがドイツで行った直接統治の形はとらず、日本では間接統治が採用されました。

情報を発信するのは日本の政治家やマスメディアですが、GHQの許可なしに情報発信することは禁じられていました。

民衆は、映画で言うならば「俳優」である政治家に対して賛同や批判をしていましたが、本当はその言葉はGHQという「脚本家」が書いた筋書きだったということです。

 

様々な政策が行われた中に漢字の統一などもあり、旧漢字を今の漢字に置き換える等が進められていきました。

その中にこの「和多志」という漢字もあったとのお話でした。

 

たしはいつからあった漢字なのか?

和多志という言葉自体は、古事記日本書紀にも登場していました。

大山津見神おおやまつみのかみ)」の別名を「和多志大神(わたしおおかみ)」と言います。

ただ、古事記日本書紀も着手時期は飛鳥時代、成立時期は奈良時代です。

この時は一人称で「わたし」は使用されていません。

 

「わたし」という一人称は、江戸時代あたりから使用されていたとの説が有力です。

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経緯かは不明ですがその時に当てられた漢字として「和多志」が頻繁に使われていたと言われています。

もちろん今も使われている「私」という漢字が使われていなかったわけではありません。

現に、GHQ統治前刊行の小説や読み物にも「私」という漢字は残っています。

 

では、なぜ「和多志」という漢字の使用が禁じられて「私」に統一されたのか?

 

漢字の意味を見ていきましょう。

 

多志と私

「和多志」という漢字を読み解いていきます。

「和」という漢字は「やわらぐ」とも読めますし、「和を乱すな!」という言葉があるように、「協力」や「協調性」を意味しています。

「和風」という言葉があるように、日本という国のことも指すこともあります。

 

また、和の左側の「禾(のぎへん)」は「上下左右全方向にバラバラに向かう」という意味もあります。

右側の「口(くち)」は「一つにまとめる」という意味でもあります。

 

つまり、多方向に拡散するのものをまとめるという意味も持っています。

日本人は空気を読む力が異常に高い人種ともいわれています。

「和」という漢字は、いろんな方の想いを汲む事、受け入れる事ができる日本人をとてもよく表している言葉だと思います。

 

つまり、

和多ー色んな方の様々な想いを汲み取り

志ー志す事

と解釈できます。

 

他者を思いやることで、自分にはこれまで出せなかったような力を出せたり、自分にはできそうもないと思っていた結果を達成できた、という人も多いのではないでしょうか?

日本人はオリンピックなどでもチーム競技、団体戦に強いと言われていますよね。

個としての能力は、強靭な筋肉や体のバネを持つ人種に敵わなくても、団体で一丸となったときに奇跡を起こしてきました。

 

和多志という言葉はまさにそれを表す言葉と解釈できます。

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一方、今も一般的に使われてる「私」という漢字。

先ほども出ましたが、「禾(のぎへん)」は「上下左右全方向にバラバラに向かう」という意味もありますが、稲などの穀物が垂れる形から「稲や作物」を表したりもします。

左側のカタカナの「ム」に似た部分は様々な解釈ありますが、「小さく囲い込む」事を表しています。

 

「私」という漢字は元々「農地の領主が使う個人的な農民」のことを意味していたとも言われています。

様々な説がありますが、私という漢字には「実り」を「自分のものとして囲い込む」というニュアンスが含まれているとも解釈できます。

 

封印されてしまった「和多志」と今も使われている「私」では、同じ音の響きですが、使う漢字によって全く意味が異なっています。

 

ロナウイルスで見えてきた日本の今

コロナウイルスについて毎日TVで様々な人が意見を述べています。

その中でも、色んな人の意見を聞いていて感じたのが「強くなりすぎた個人主義」でした。

 

日本は資本主義社会なのでなるべくしてなったのだとは思いますが、色んな人のことを本当に考えることができていたならば、マスクやトイレットペーパーは市場から消えることはなかったと思います。

まさに先ほどの「実り」を「自分のものとして囲い込む」という状況になっている事が、危機的状況になると顕著に表れています。

 

「自分の身を守ることが最優先」という考えが悪いというわけではないですが、このような状況だからこそ本当に必要なのは思いやりだったりするのではないでしょうか?

 

コロナウイルスの影響でリアルに人と会うことが難しくなりました。

外に出られない今の状況下でも誰かの事を思いやり、自分に何かできないのか?と、よりエネルギッシュにできる限りの行動をしている人もいます。

まさに「色んな方の様々な想いを汲み取り志す」生き方です。

 

個人主義の「私」、思いやりの「和多志」。

コロナウイルスで不安が多い今の時代だからこそ、2つの「わたし」のうちどちらを選ぶかで大きく人生が変わっていきそうですよね。

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