神話を知らない国、日本って多数派なの?少数派なの?
天皇の「即位礼正殿の儀」が終わり、日本がちょっとした天皇ブームになりました。
三種の神器の記事も書きましたが、日本の事に興味を持つきっかけになった人も多いのかもしれません。
以前書いた三種の神器の記事はこちら。
今回は、なぜ日本人は神話を知らないのか?神話がどんな意味をもっているのか?というところを簡単に考察してみたいと思います。
海外と日本の神話への捉え方の違い
海外に留学した人たちに聞くと「日本人はなぜ自分の国の神話も知らないのか?」とよく言われるみたいです。
神話を教えるのは当たり前という感覚は、なかなか日本人では分からなかったりしますよね。
ただ、日本国外では実は神話を教わるのは歴史教育として一般的な事だったりするようです。
エジプト神話
ギリシャ神話
聖書
神話を学ぶ事で、自分の国の精神性を学び、国としての価値観、考え方を学ぶと歴史学者達は考えています。
「十二、十三才くらいまでに民族の神話を学ばなかった民族は、例外なく滅んでいる」
(歴史学者:アーノルド・J・トインビー)
超合理主義の欧米列強の方々でも、聖書の内容は当たり前のように知っていたりします。
日本の神話を知らないスタンスが普通だと思いきや、実はなかなか珍しい現状なのかもしれません。
進化論が取り入れられた理由とは?
実は今とは違い、明治期までは日本でも神話教育を行なっていたという史実が残っています。
明治時代というと、近代化というイメージが強い方も多いと思いますが、思想や教育などの分野では逆に古代に立ち返ることになったと言われています。
(天皇制の強化のためという意図もあったようですが)
そんな明治時代のさなか、1867年頃から海外留学する人が増える事で、洋学を学ぼうという風習が出てきました。
つまり、聖書やキリスト教が日本に本格的に入ってきつつあったのです。
その傾向を良しとしない葵川信近(あおいがわのぶちか)という方が、ダーウィンの「種の起源」を日本に取り入れて、進化論を紹介しました。
種の起源が発表されて15年後のことです。
進化論についての記事はこちら。
日本に進化論が紹介されたのは、科学的な一端ではなく、進化論を教える事で聖書の教えが広まらないようにする戦略だったのです。
所詮この世は弱肉強食、、、
進化論の自然淘汰の考えは、当時の時流ともマッチしていました。
弱き者が淘汰され、強き者が生き残る。
そんな思想の中で生まれてしまったのが、かの有名な志々雄真実です。
(↑冗談ですよ笑)
力をつけなければ海外列強にやられてしまう。
そんな危機感に溢れた明治時代の中期以降、進化論的な弱肉強食の思想が加速的に広がっていきます。
進化論を突き詰めていけば「他者を蹴落としてでも勝てば良い」という思想に近づいていきます。
それは現代でも勝ち組、負け組という言葉として残り続けています。
海外では、進化論と創造論の二つを学ぶと言われています。
なぜなら、進化論は証明されていない。という考えが一般的だからです。
どっちが正しくて間違っているという事ではなく、両面から世界を観れるというのは、全く世界観が変わりそうですよね。
自分の首を締めたという事実
日本が対戦後に連合軍の占領下だった時「歴史的事実ではない」「科学的ではない」という理由で、『古事記』や『日本書紀』は学ぶ価値なしとされてしまいました。
そこに進化論が取り入れられた事もあり、神話離れが加速してしまったと考察されています。
日本人自らが、欧米列強の思想を突っぱねる為に取り入れた進化論によって、最終的には首を締めてしまった結果となりました。
言いたかったことは、必ず進化論が違うとかという話ではありません。
ただ、自分の国のルーツを知らない事は、もしかしたら精神性や人生観に大きく影響を与えているのではないか?と言えるかもという話です。
もしかしたら、弱肉強食ではない世界を学ぶヒントが隠されているかもしれませんね。